7月31日(土) 今日も3時に起床。これ以上眠れない。時差ボケは一日では治らなかったようだ。以前だったら絶対にこんなことなかったのに。やっぱり年を取ったということか…。 そんなわけで体調は最悪。あまりに疲れが出ているので、先月の19日以来、40日ぶりに完全休養を取ることに決めた。仕事に関係するCDをまったく聞かず、本も読まない一日。と言っても、遊びに行く元気はとてもないので、一日中自宅で過ごすことに。部屋がかなり散らかっているので掃除しないといけないし、布団も干したいし、おまけに冷蔵庫がカラッポだから、食材の買出しにも行かないといけない。やることはけっこうたくさんある。でも、不思議なもので、仕事じゃないと、いくら身体を動かしても疲れない。午後3時過ぎには全部終わって、あとはノンビリ。久しぶりにビールを買い込んだので、4時頃にはもう飲みはじめていた。 夜も自宅でゆっくりサッカー観戦。アジア・カップの準々決勝の2試合を楽しんだ。日本とヨルダンの試合は、試合前の国歌斉唱のところでブーイングが起こるほど反日感情丸出しの中国重慶が舞台。そんなところで試合をして、しかもPK戦にもつれ込んで、最初の二人がはずしたところからの勝利だから、シビレまくりだ。一番シビレてたのは、他でもない、当のジーコ監督のようで、終わった後のインタビューでは興奮して<こちらが二人はずしたところで、ヨルダンは大騒ぎ。早くも勝利を確信して踊り出す奴までいた。あんな失礼なことはない。あいつら、バチがあたったんだ。さっさと家に帰りやがれ>なんて調子で話していた(通訳の人はもっと穏やかに訳していたが)。さすがに<ミスター負けず嫌い>。いきり立った表情も含めて、久しぶりに本領発揮だ。 ただ、試合としては、その次にやっていた韓国とイランの試合のほうがずっと見ごたえがあった。こちらも内容は思い切りホット。イランが先制したら韓国が取り返す。それの繰り返しが3回。そして最後にイランが点を取って、4対3で勝負を決めた。まさに最後まで手に汗握る好試合だ。先の日本との試合では無得点だったイランが韓国から4点取れたのは、組み手の相性がたまたま良かったというだけで、韓国が弱かったわけではない。ただ韓国は監督が変わってまだ1ヶ月。監督は選手の能力を完全につかみきっていない、というのはあるようだが。先のワールドカップで韓国と日本が目立ったので、中東各国はこの二つの国とやるときには、いつも以上に力を入れてくる。韓国も追われる側の苦しさを感じているところだろう。 さあ、次の準決勝は火曜日。日本はバーレーンと、中国はイランと激突だ。今年のオフ・シーズンは、ヨーロッパ選手権からはじまって、本当に楽しみが尽きない。サッカー好きにとって、ワールド・カップの年以上に楽しい夏と言えそうだ。 |
7月31日(金) 午前3時に起床。と言っても、起きたく起きたのではなく、自然に目が覚めてしまった。いわゆる時差ボケというやつです。こういう時は無理して寝ようと思ってもダメ。起きて仕事でもはじめるしかない。思い切り仕事して、ヘトヘトに疲れて寝れば、明日くらいには治るだろう。そうじゃなくても一週間も日本を留守にしたのだから、やらないといけないことは山ほどたまっているわけだし…。 そんなわけで、帰国早々、朝から仕事。まずは自宅でコンピュータに向かって原稿仕事を進めた。なにしろ今日は月末最終営業日。午後は支払いもしないといけないし、帳簿も締めないといけない。お昼過ぎから事務所で会計の締めを終わらせて、夕方に自宅に戻ってまた雑用仕事。夜はサッカーのオリンピック壮行試合がふたつあるはずだが、テレビを見る余裕はとてもなさそうだ。 昨晩エル・スール・レコーズのホームページを見ていたら、ポルトガルのファドのある新作アルバムを紹介する文章で、<ファドは変わるべきではない!というご意見をお持ちの方も多いことと思いますが、まあ、それだったらアマリアだけ聞いていればいいのかも知れなくて…>なんて文章が出ていた。ファドは変わるべきでない、なんて、もちろんぼくは言った覚えはないが、ぼくがマガジンに書いた文章がそう思われているのだとしたら、誤解をされると困るので、いちおう書いておいたほうがいいだろう。というのも、ぼくが書いたのは、あのアマリア・ロドリゲスですら前の時代のファドの音楽的スタイルを変えなかったという事実だ。ファドは、アマリア以前の1920年代の録音と比べても、そのスタイルを変えていないのだ。そんな音楽は世界でほかに存在しないし、そんなスタイルを変えないところが逆にファドの個性でなっていることは間違いないだろう。これは<変わるべきではない>というのとは違う。もちろん、いまのそれよりさらにユニークかつ新しいスタイルを生み出せるなら、そのほうがいいに決まっているし、そういう試みはあるべきだろう。でも、そんな<改革>を試みて、結局世界のどこにでもあるような<普通の>音楽になってしまったら、まったく意味がないのも事実だ。ぼくが言いたいのはそんな後者の<改革>がほとんどではないか、ということだ。エル・スールが紹介されているそのレコードが、そのどっちの方を向いているか、買ってじっくりとチェックしてみることにしよう。 なんてファドのことを書いたのは、別に原田さんに喧嘩を売ろうと思ったからではない。今週末にいよいよアマリア・ロドリゲスの『ファドの貴婦人』(ライス PSR-549)が発売になるから、そのことを書こうと思ったからのだが、自社作品の宣伝をいきなり書くのも、なんとなく気が引けたので、エル・スールの話を前置きに使わせてもらったのでした。 今日、そのアマリアのアルバムの完成品を見せてもらったが、デザイナーの藤原さんのおかげで、これまでのアマリアのアルバムとは一風違ったジャケットになった。音のほうも、初期のウイウイしいアマリアの歌声が、いま聞くとなんとも新鮮に感じられる。中期から後期にかけての名曲名唱を聞けるアルバムは、世界にいっぱい出ているが、1956年にオランピアで世界デビューする以前のアマリアの活動を追ったアルバムなんて、世界でも他に存在しないだろう。女王さまがどのようにして女王さまになったか、その成長の過程を克明に知れる1枚なんて、たぶんぼく以外、誰も作ろうとも思わなかったのかもしれない。 そんな初期のアマリアの音源をCD化しようと思ったのは、もちろんいまのぼくの気分にフィットして感じられるからだが、それは最近登場してきたファド・リヴァイヴァル運動の新人たちのおかげのような気もする。彼らのおかげで、ファドがかつてのウイウイしさを取り戻した。シーンにウイウイしい歌声が溢れているから、アマリアもウイウイしい時代の歌声が聞きたくなったということだ。なんて話は、もちろん個人的な趣味の問題で、世の中の人がすべてそうあるべきだとは思わないが…。でも、それとは別にして、ぼくは前々から、中期から後期にかけての全盛期のアマリアだけを聞いてファドがわかった気分にはとてもなれない。反対に初期の、まだ成熟しきっていないアマリアのほうが、想像力が入り込む余地があって、より自由な聞き方ができるから、ファドに近づけた気分になる。普通に全盛期のアマリアだけを聞いていても、ファドなんて全然わかってこない。それ以前のアマリアのほうが、ファドという音楽の奥深さや多彩さを、すごくストレイトに楽しめるように思うのだ。 そういうわけで、この『ファドの貴婦人』はアマリアの決定盤では全然ない。アマリアを、そしてファドを、もっともっと好きになってもらうための1枚だ。このアルバムをじっくり聞いて、ファドのほかのアルバムを聞き返したら、ファドの深い世界がもっと見えてくる。そうしたら、あなたもすっかりファド・マニアだ。 実はこのアルバムでファド好きになってくれるファンがたくさんいることを想定して、年末か来年アタマにはファドの歴史ものアルバムを出そうと思っている。古い時代のSPも少しずつ集まってきたし、そろそろ良い時期だろう。歌もの好きの方は、楽しみに待っていてください。 |
7月29日(木) 午前9時過ぎに成田到着。10時半くらいのスカイライナーに乗って帰ってきた。帰宅したのは午後2時過ぎ。それから荷物をカバンから出して、ものを所定の位置に戻して、洗濯して、なんてことをしていたら、もう夕方。何も仕事ができないで一日が終わってしまった。 スペインのレアル・マドリッドが来日していたこと帰国してから知った。今晩のジェフ市原との試合をちょっと見たけど、ベッカムがボランチの位置で司令塔。もうひとりのボランチ、グティも何度も攻めあがるなど、今年も攻撃は相変わらずスゴそうだ。けど、その分、また失点も多いんだろうなあ。たまに試合見る分には迫力あるけど、地元のファンはまた今年もハラハラドキドキでしょう。 |
7月28日(水) 昨日は夜の12時過ぎに帰宅。それから帰国の準備をしたので、寝たのは午前2時。なのに朝5時には起きだして、ブラジルの新譜をチェック。さっそくリストを作って、日本にメールしたら、もう8時半を回っていた。9時には空港に向かわないといけない。たしかこちらに来る日も早起きして仕事をした気がするが、帰る日も同じことになるなんて…。なんでいつもこんなに慌しいのか。イヤになってしまう。 そんなわけで、帰国の飛行機に乗ったら疲れがドッと出て、いきなり爆睡。今回はヴァージン・アトランティックを使ったのだけど、新しい飛行機らしく、座席が異常に狭い。それなのにこれだけちゃんと寝れたなんて、よほど疲れていたということでしょう。目が覚めたのは、かなり日本に近づいてからで、それから慌ててじゃがいもの歴史の本を取り出して、読了。今回の旅は忙しくて、結局この本しか読めなかった。 |
7月27日(火) 昨日は比較的早くベッドに入れたので、今日は早起き。早朝には恒例のジョギング。その後は原稿書きの続きをやった。今日も解説原稿を1本脱稿。なにしろ今日はロンドン出張の最終日。午後から夜にかけては重要なミーティングが3つもあるので、早いうちに日本向けの仕事を終わらせないといけない。 大事なミーティングの第一弾の相手がベン・マンデルソン。ウォーマッドの初日にイギリスのカントリーダンスのバンドで演奏しているベンを見たが、そういう日は会ってもちゃんとしたミーティングにならない。そこで今日、改めて会うことにした。彼と話したかったのは、他でもない、今年中にはやろうと思っているインドネシアでのレコーディング・プロジェクトの詳細。具体的な日程と音楽の内容、それに楽曲などについてもしっかり話し合った。まだお伝えできるほど細かいところまで決まっていないが、どうもかなり早いうちにスタジオ入りすることになりそうだ。いかにもベン・マンデルソンらしいユニークな内容のプロジェクトになると思われるので、楽しみにしていてください。 そして次は、ライスUKの今後を共同経営者のポール・フィッシャーと打ち合わせ。彼とは毎日会っているのに、いつも別の仕事が目の前にあって、ちゃんと話し合う時間がない。それが実現したのは、やっと最終日になってからだ。まあ、彼との打ち合わせはあまりに内部的な話ばかりで、ここでは書けないことだらけだけど…。 ただひとつだけ、これはぼくが前々から考えていたことだが、せっかくこうして兄弟会社があるのだから、これまでのように別々にプレスしてCDを出すのではなく、どこか一箇所でプレスして両方で同時発売したらどうかということを提案した。輸送料の問題もあるので、それが一概に安上がりかどうかはわからない。でも<世界同時発売>というのは、なんとなく良い響きだ。ちなみにEU内は輸入非課税だから、ヨーロッパならどこの国でプレスしてもいいわけで、少しも非現実的な話ではない。さっそく見積もりを取って、考えてみることになった。 もうひとつの打ち合わせは、実はミーティングではなくパーティ。イギリスを代表するワールド・ミュージックの雑誌<fルーツ>がめでたく25周年を迎えることになり、記念パーティが開かれるというので、まぜてもらうことにしたのだ。もちろんパーティと言っても、日本式にスピーチを何人もの人がやって、というのとは違う。ライヴはあるし、みんな友人を見つけて勝手におしゃべりしている。ホストのイアン・アンダーソン編集長だけは、ライヴのMCもやっていたので忙しそうだったが。 ロンドンのワールド・ミュージックの重要レーベルの社長たちも面識がある人が多くなったが、それでも会ったことのない人はまだいるし、なにより音楽ライターの人たちはまだほとんど知らなかった。このパーティで有益だったのは、そういった人たちにまとめて会えたことだ。ポールがライスUKのサンプル盤をもってきてくれたので、渡せていなかった評論家たちに配りまわった。ぼくも何人かの人には挨拶をした。そんな中で一番の収穫は、なんといってもワールド・サーキットのニック・ゴールドに会えたことだ。実は彼のところの最新リリースは、キューバのトランペッター、グァヒーロ・ミラバールのソロ・アルバムなのだが、これがなんと偶然にもアルセニオ・ロドリゲス作品集。ちょうどライスUKでもアルセニオを出したところだったので、ピッタリとタイミングが合った。もちろんニックにはサンプルを送っていたが、とても気に入ったようで、ポールがぼくを紹介したら<すばらしいアルバムだ>と連発していた。彼が推薦してくれたら、レコードの売り上げも違うのだそうで、ポールはかなり熱心に営業していた。 でも、ぼくにとってそれ以上に嬉しかったのが、実はニックがとんでもないレコードを入手したという話を聞かせてくれたことだ。なんでもニックは、キューバで40年代後半のアルセニオのアセテート盤を見つけ、後で調べてみたら、それはSPにはならなかったアウト・テイクものだったとか。その音をダビングして聞かせてくれるというから、嬉しくなってしまった。まさか当社でアルセニオのアウトテイク集を発売するわけにはゆかないので、皆さんにお聞かせする機会があるかどうかわからないが、もしもニックが本当に送ってくれたときには、その内容をこのページでご報告することにしよう。 会場にはスターンズ・アフリカのロバート社長やゼップ営業マンなど、顔見知りの連中がたくさんいて、話し相手には困らない。ゼップが次々とビールを注文してくれるので、もうお腹はタポタポだ。バンドの演奏が終わったのは夜の11時半過ぎ。明日には仕事があるので、そろそろ帰宅する頃合だろう。今回のロンドン出張はほとんどアルコール抜きだったが、最後の日になってハジケてしまった。 |
7月26日(月) いることだ。まず第一に、イギリスでウォーマッドに来ているお客さんのほとんどは、音楽ファンである前に、フェスティヴァル好き。イギリスだけでなくヨーロッパでは、夏になるとたくさんの音楽フェスティヴァルが開催されるが、彼らは週末にはそれらを回って楽しむことを日常としている。それが彼らの夏の過ごし方なのだ。これは例えば、日本人が夏になると盆踊りに行ったのと同じだと思えばいい。イギリスのウォーマッドの会場には出店(音楽関係じゃないものもたくさん売っている)がひしめいているが、彼らは日本でいうところの<テキヤさん>なのだ。そんなフェスティヴァルという伝統にのっとって行われているウォーマッドを、形だけ日本に持ち込もうとしてもマッチするわけはない。
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7月25日(日) 昨日に続いてウォーマッド。とうとう最終日になってしまった。今日は起きた時間が遅かったので、ジョギングも原稿書きもお休みして、朝9時に出発。11時過ぎにはウォーマッドの会場について、仕事をはじめることにした。 仕事と言っても、今日はぼくのそれではなく、ポール・フィッシャーが招聘に関わった中国人の琵琶奏者リウ・ファンのステージのお手伝いをすることだった。と言っても、お手伝いをしていたのは、あくまでポールで、ぼくはそれに付き合っただけだが、これが予想した以上に面白い発見の連続で、すっかりこの人のファンになってしまった。 彼女が演奏する琵琶(ピーパ)は、日本の琵琶の親戚に当たるのは間違いないが、でも日本の琵琶のような伴奏楽器ではない。ソロ、あるいは合奏で演奏されるために、信じられないくらい洗練された構造と演奏テクニックを生み出している楽器だ。弦の数は4本だが、フレット数はなんと30。リウ・ファンはまだ30歳の若手女性奏者だが、すばらしい才能の持ち主で、まさに目を奪われるようなヴァーチュオーゾぶりを発揮していた。 でも、ぼくが関心を持ったのは、彼女のヴァーチュオーゾぶりではない。それ以上に印象的に思えたのは、その奏法だった。緊張感とリラックス感が同居した、なんともユニークなものだったからだ。というのも、琵琶は低いほうからAEDAとチューニングしていたようだが、一番低い弦のAの音が常に基音になっていて、ここはほとんど開放して弾く。そして高い音の弦でメロディを弾くのだが、基音のAの開放弦のおかげで、高いポジションですごい速引きをしていても、同時にリラックスした気分を感じさせるところがポイントのように思えたからだ。 これはインド音楽のシタールなどで聞かれるドローンと同じ効果なのだろう。でも、ぼくが彼女を見ていて思い出したのは、インド音楽ではない。なんと山内雄喜さんが演奏するハワイのスラック・キー・ギターだった。というのも、スラック・キーはギターのオープン・チューニング奏法のひとつだが、やはり低いほうの弦が常に基音になっていて、開放弦で演奏し、メロディは主に高いほうの弦で演奏する。だから、いくらハイ・ポジションで緊張感のあるフレーズを演奏していても、基音が常に鳴っているので、安心した気分を感じさせる。リウ・ファンさんが演奏する琵琶も、これと基本的に同じスタイルが取られているのだ。なんと、中国の琵琶は、日本の琵琶より、ハワイのスラック・キーと似た演奏スタイルを持っていたのだ。 リウ・ファンさんは、オリジナルの新作も演奏するようだが、ウォーマッドのステージだと言うことを意識したのか、今回は伝統的な作品を中心に演奏されていたようだ。中国の各地方に伝わる旋律を、これは北部の**というところで生まれた曲です、とか言いながら、女性らしい繊細さを感じさせる演奏で楽しませてくれた。中でも印象的だったのが、シルクロード沿いに位置する北西部の曲をやったときで、トルコあたりのブラス・バンドで演奏されてもおかしくないような旋律が飛び出してきたのには驚かされた。中国の広さは、地図を見れば誰でもわかるが、それをより以上にはっきりと実感させてくれたのが、リウ・ファンさんの今回のステージだった。 リウ・ファンさんからは、これまでレコーディングしてきたアルバムのサンプルをいただいてきた。レコードがライヴと同様に楽しめるように作られているかどうかは、聞いてみないとわからないが、もしも良い内容だったら、近いうちにライスからご紹介したいと思っている。楽しみにしていてください。 朝からそんな琵琶演奏に興奮していたのでコロッと忘れていたが、実は今日のぼくの一番の仕事はFルーツ誌からインタビューを受けること。これが6時からあるというので、ライヴから離れて、バックステージに向かうことにした。ライスUKはまだ4枚しかアルバムを発表していないが、これからもっと出してゆかないといけない。それにあたって、少しは宣伝活動をしておかないといけないということから、ポールがFルーツに売り込みをしたらしい。 インタビュワーの人はアジア音楽のファンらしく、4枚の中ではRIKKIのアルバムが気に入ったようだが、それ以上に驚いていたのが、アルセニオ・ロドリゲスとチローロという2枚の編集盤のほうだった。というのも、この2枚では中村とうようさんがチローロを、ぼくがアルセニオの解説を書いているのだが、そこで書かれていることが、イギリスではまったく知られていないことだらけだったからだ。どうして遠い日本のジャーナリストがこんなことを知っているのか、その情報源について関心を持つのはある意味で当然だろう。 実はこういう反応があることは、ぼくも事前に想像していた。そして実は、ライスUKをスタートした一番の理由が、そこにあった。 というのも、ぼくら日本人は、ヨーロッパからの情報は英語なりフランス語なりで知ることができる。でも反対に、ぼくらが日本語で書いたものを、彼らはまったく読むことができない。だから英訳して、読ませてあげないといけないと思った。これがライスUKでラテン音楽などの古い音源の復刻盤シリーズを出そうと思った理由だ。別にぼくらが彼らより知っていることをイバりたいわけじゃない。どっちが知っているか、なんてことは大した問題じゃない。それよりも、ぼくらが書いた原稿を彼らが読んでくれることで、お互いに知識を補充しあう関係が生まれる。そういう一方通行でない関係こそが、今後に求められると思ったからだ。そういう意味で、今回のインタビュワー氏がぼくらの解説原稿を素直に驚いてくれたことは、とても良かったと思う。ライスUKの存在価値も生まれたということだ。 どうもインタビュワーの人は、ぼくのこれまでの経歴に関心を持ったらしく、これまでプロデュースしたり編集したりしたアルバムについて、いろいろ聞いてきた。どうしてブラジル音楽を好きだった人間がインドネシアに行ってアルバムを作ったのか、なんて聞かれても、自分でもハッキリした理由はあったわけでははないから、答えようがない。でも、そんなのわからないよ、と言うわけにもはゆかないから、どうしてだったんだろうと一生懸命考えてみたりする。こんなことは、インタビューでもされない限り、考えることもなかっただろう。そういう意味で、インタビューされるというのも、たまには良いものだと思った。 そしてもうひとつ、そうして過去の仕事のことを思い出しながら話していて、改めて思ったのが、俺もこれまでいろんなことをしてきたなあ、ということだった。たしかにブラジル音楽にのめりこんだ人間が、インドネシアにも行ってレコードをプロデュースしたなんてことは、そうはあるわけではないだろう。そして原稿書きの仕事に飽きたら、レーベルを作ってレコードを出す側に回ってみたり…。会社員もしたことがない人間が、いきなり会社の社長をしているのだから、困ったものだ。でも、一度しかない人生だ。自分の可能性の試し方はいろいろあってもいいだろう。きっと5年後くらいには、またまったく違う仕事にトライしていたりして…。 そんなわけで、せっかくウォーマッドに来ているのに、今日はほとんどライヴを見られない一日だった。本当は、当社で配給しているバ・シソコやココ・ムバシくらいは見ておきたかったが、インタビューの後はスターンズ・アフリカのロバート社長と仕事の話をしたり、リウ・ファンの旦那さんとウイスキーを飲みながら盛り上がっているうちに、時間が過ぎてしまった。今日もホテルに戻ったのは午前2時。昨日と同様、長い一日だった。 |
7月24日(土) 今日も朝は7時に起きて、昨日の公園でジョギング。7時だともう人がいっぱいいるかと思ったら、今日は土曜日。まだみんなゆっくり寝ていたのだろうか、昨日同様、ほとんど公園を独り占め状態。ゆっくりじっくりジョギングを楽しんだ。帰宅した後は、シャワーを浴びて、昨日と同様に原稿書き。今日も解説1本を仕上げることができた。 今日はウォーマッドに行く前に、面白い公演をチェックすることになった。というのも、ポール・フィッシャーがNHKののど自慢番組の公開生放送のチケットをもらったので、それを見に行くことにしたのだ。もちろん、参加者やお客さんのほとんどは日本人だが、ちょっとだけイギリス人も参加してユニークなパフォーマンスを見せてくれていた。カラオケ嫌いのぼくは素人の歌を聞くのは趣味ではないけど、それでも来て良かったと思ったのは、ゲストでやってきた森進一と小林幸子のおかげだ。ともに番組中は1曲ずつしか歌わなかったが、その後に会場のお客さんのためだけにあと2曲ずつ歌ってくれて、これが意外なくらいすばらしい内容だった。特に気に入ったのは森進一だ。彼の歌は、これまでじっくり聞いたことはなかったが、ナマで聞くとこれが実にソウルフル。このまんま午後からウォーマッドに出演しても全然OKじゃないかと思ったほどだ。10年ちょっと前の日本でのウォーマッドに都はるみさんが出演したことを思い出した。 そんなのど自慢を見ていたせいで、ウォーマッド会場に着いたのは、やっと3時半。いくつかのステージを見逃してしまった。でも、今日はそれでも大満足。夜に出演したマリのティナリウェンが、最高にすばらしいステージを見せてくれたからだ。 彼らを見るのは昨年のウォーメックス以来。でも、これがバンドの勢いというものだろう。ウォーメックスでのステージとくらべたら、3倍くらい迫力を増しているように感じられた。きっとヨーロッパの聴衆に対するライヴのやり方というものを覚えたのだろう。まったくたるんだ時間がない。まさに目と耳を釘付けにしてくれた1時間15分だった。イギリスのプレゼンターは彼らのことを<いま世界で最高のバンド>を紹介していたくらいだから、こちらでも評価はものすごく高いようだ。 そんなライヴもあったせいで、今日はまったくティナリウェン漬けの一日。公演は夜9時過ぎからだったが、昼間にはティナリウェンのスタッフたち(フランス人とイギリス人)と今後のスケジュールやプロモーションに関する打ち合わせがあったので、日本で彼らのアルバムをディストリビュートしているぼくも参加させていただいた。彼らがぼくをまじえてミーティングをやったのは、アジアにおけるプロモーションについて、ぼくの意見を聞きたかったからだ。ティナリウェンのスケジュールは、年内はほとんど決まっているが、来年には少し余裕があるので、アジアでのツアーを計画している。ぼくもそれに向けて準備を進めていたので、その進行状況を報告した。ツアーの具体的な日程はまだ決まっていない。でも、できたら来年の夏くらいには、東京と大阪あたりで大きなコンサートをやりたいと思っている。もしも実現したら、すばらしいことになりそうだ。 その打ち合わせの後、ティナリウェンのメンバーにも会って、少しだけだが挨拶もすることが出来た。みんな精悍な顔つきで、あまり余計なことを言わず、すごくクールな人たちだ。中でもリーダーのイブラヒムは、静かに燃えるタイプのようで、同時に独特のカリスマティックな雰囲気を漂わせていた。実は昨年のウォーメックスでは、事情があって彼は参加していなかった。今回のコンサートがウォーメックスのそれと圧倒的に違って迫力満点に感じられたのは、そんな彼の存在感に負うところが大きいのだろう。もし日本に来たら、きっとみんなぼくの言うことを納得してもらえるに違いない。 ウォーマッドはぼくにとって、コンサートを楽しむため以上に、イギリスの取引先との打ち合わせの場。今日はティナリウェン関係の人との打ち合わせに時間を割いたが、それ以外にもそのティナリウェンのアルバムをイギリスで発売しているラスのイアン・アシュブリッジ社長とは、今後のリリースについてじっくり相談することができた。そしてその後は、<ラフ・ガイド>シリーズでおなじみのワールド・ミュージック・ネットワークのフィル・スタントン社長だ。実はフィルとは、彼が発売するアルバムを日本でディストリビュートするだけでなく、アルバム制作の手助けもしようという話も以前からあって、今日は具体的なアイディアについて話し合った。ぼくが彼と一緒に仕事するというのは、彼が出している<ラフ・ガイド>シリーズのアルバムをぼくが選曲するということだけではない。実は新録アルバムも一緒に作ってみようかというアイディアも浮上していて、それがかなりエキサイティングなプロジェクトだ。まだ名前までは明かすことができないが、皆さんもよくご存知のグループのアルバム。実現するかどうかは半々くらいだが、もしも実現したらすごく面白い内容になると思う。 実はフィルがぼくにアルバム制作の話をしてきたのは、ライスUKが発足されてぼくが作ったアルバムを彼が聞けるようになったからで、それまでフィルはぼくがアルバム・プロデューサーでもあることを知らなかったようだ(思い出してみれば、彼らにはぼくがこれまで何をやってきたかはあまり話したことがなかった)。ライスUKはまだまだ採算が取れているとはいえないが、そんな収支とは別のところで、すでに存在意義を発揮している。フィルと話し合って、そのことを改めて実感させられた。 そんなわけで、打ち合わせ続きの忙しい一日だったが、それでも時間を見つけていくつかのステージを見ることができた。中でも楽しめたのはロキア・トラオレだ。彼女のステージを見たのははじめてだが、思ったよりずっとホットな内容。まさに、ヘェーという感じだった。 そんな彼女を見ていて思い出したのが、昨日のスアド・マシのことで、ひょっとしてロキアのライヴは、スアド・マシのお手本になるかもしれないとも感じられた。 というのも、ロキアはバックにベースは入れているが、ドラムスは使わない。ドラムスとベースの組み合わせで作られるありきたりのスタイルを嫌ったからだろう。もちろん、それをカヴァーしているのは伝統的な打楽器だ。さらにロキアは、ほかにもウゴニなどの伝統楽器を入れて、西洋的なコードの呪縛から逃れようとしている。ただ、そんな伝統路線の演奏をバックに、1曲だけ、彼女自身が生ギターを手にして歌った。その演奏が昨日のスアド・マシとダブッて映り、スアド・マシの未来の姿はこうであるべきじゃないかと思ったのだ。 ロキアはその曲で、前半部分だけシンプルなコードを刻んで美しい旋律を歌い、でも後半ではギターを弾くのをやめて、伝統楽器の旋律に身をゆだねてアフリカ的な要素を増した。しかもそんな展開が、まったく不自然に感じられない。なんともスムーズな移行だったのだ。 スアド・マシのライヴは、いまのところコードに寄り添った部分があまりに大きい。でも、それだけでは歌いきれない大きなものを、彼女は持っているはずだ。それをすべて歌いきるには、アラブの伝統の太い根っことどう寄り添うのか、そこを考えるしかない。ロキア・トラオレは、スアド・マシと同様、伝統音楽と一体化することなく、独特のインテリジェンス溢れる音楽を作るタイプだが、さすがにスアド・マシよりずっとスケールの大きな境地に達しているようだ。 そんな今日の最後を締めくくったのは、セネガルのラップ・グループ、ダーラ・J。彼らのアルバムも当社がディストリビュートしているアーティストだが、だから言うわけではないけど、これもまたすばらしいステージだった。 ラップに批判的だったぼくがダーラ・Jのアルバムを出したことは、日本でも一部で話題になっていたようだが(サンビーニャは売れそうだと思ったらなんでも出す会社だと言っていた人がいたらしい)、それは彼らの音楽をちゃんと聞いていない人の意見に違いない。彼らは単なるラップ・グループなんかでは全然ない。彼らの音楽はラップ(言葉)にびったりと寄り添うことはなく、歌のパートもちゃんとあるし、なによりも音楽としてとても楽しく作られたエンタテインメントだからだ。 今日のステージでもそんな彼らの良さはバッチリ楽しむことができた。いや、CDよりも圧倒的に良かったかもしれない。そう思ったのは、すばらしく楽しい彼らのダンスも同時に楽しめたからだ。ダーラ・Jの3人は、まるでゴムまりのように飛び跳ねながら、ラップをして、歌う。いまどきこれほどイキイキとした若者の音楽は、そうはあるものではないだろう。そしてそんな彼らのステージには、いまも失われていないアフリカ音楽のたくましい底力というものをハッキリ感じさせる。 もし出来たら、彼らもぜひ日本で公演をしてもらいたい。そのために、ぼくもこれまで以上に努力して彼らのCDを売る努力をしないといけない。 そんなこんなで帰宅したのは午前2時。もう本当にクタクタだ。信じられないくらい密度の濃い一日だった。 |
7月23日(金) 朝5時に起床。さっそくトレーニング・ウェアに着がえて、近くの公園をジョギングしてしまった。ロンドンに公園が多いのは知られているけど、ぼくら日本人からしてみればどこも贅沢と言っていいくらい広く、しかも管理が行き届いている。そんな公園を、ちょっと早起きさえすれば独り占めできるのだから、たまらない話だ。30分ほどジョギングしたが、その間に会ったのはたった3人だけ。刈り上げられた芝が美しい公園を好きなように走れるなんて、贅沢極まりない。今日はゴキゲンな気分ではじまった。 昨晩は久しぶりにエアコンの助けを借りないで睡眠。そのせいか、今日は非常に体調が良い。ジョギングから戻って、シャワーを浴びて、コーヒーを一杯飲みながら、さっそく解説原稿書き。1本は完全に書き上げて、もう2本に手をつける。10時にはライスUKを一緒にやっているポール・フィッシャーの家に行って、打ち合わせ。状況は厳しそうだけど、まだはじまったばかりのレーベルだから、そうは簡単にうまく行くはずがない。しばらくは我慢の時間が続くだろう。それで仕方ないという結論に達した。 午後遅い時間からウォーマッドへ。バックステージでベン・マンデルソンやイアン・アンダーソン(Fルーツ)、アンディ・モーガン(ティナリウェンのオリジナル解説を書いていたジャーナリスト)らと出会った。ベンは昨日アルゼンチンから帰ってきたばかり。ぼくがスペイン語をわかるのを知っているので、嬉しそうにスペイン語で話しかけてきた。今日はベンとイアンがタイガー・モスというグループ(イギリスの伝統的なダンス音楽を演奏する)のメンバーとしてステージに上がる。だからふたりは<アーティスト>扱いのパスをつけていた。 仕事もあったので、まったく自由にステージを見れたわけではないが、それでもココ・ムバシとスアド・マシ(ともに当社で新作を配給中)はしっかり見ることができた。ココ・ムバシは、日曜日はバンドと一緒に歌うそうだが、今日はギター1本の伴奏。でも、こんなシンプルな構成のほうが声の美しさがイキる。CDで聞く以上に魅力的な歌声だった。日曜日も楽しみだ。一方のスアド・マシは、逆にライヴよりもスタジオのほうが生きるタイプのように感じられた。ベース、ドラムス、生ギターの伴奏で、本人も生ギターを弾くのだが、ベースとドラムスがいわゆる普通のロック的なサウンドを作り上げてしまうので、スアド・マシの繊細は個性はなかなか浮き出てこない。ギタリストと二人でやった曲でかろうじて本当の彼女に出会えた気もしたけど、でもそれじゃ3000人を前に歌うにはスケールが小さすぎる。さあてどうしたらいいものか…。彼女はまだ本格的なツアーをはじめたばかり。時間はたっぷり残されている。次のアルバムも含めて、成長をじっくり観察してゆきたい歌手だ。 遅い時間になって、なんとディヴッド・バーンが登場。今回のウォーマッドに出演する中で、間違いなく最大のスターだけに、1万人は入ろうという会場は満員に膨れ上がっていた。そんな中で、大歓声に迎えられてバーンが登場。さすがに年はとっているが、彼ならではのカリスマティックな姿は健在だ。きっと新作アルバムがそういう作りなのだろうか、ストリングス・セクションとの共演。最初のほうではスペイン語をまじえた不思議な作品を歌っていた。でも、それは最初の10分だけ。きっとそんな曲では盛り上がりに欠ける、スタジアム・クラスのステージには向かないと思ったのだろうか、途中からはなんとトーキングヘッズ時代の作品のオンパレードになってしまい、ビックリさせられた。もちろん、ぼくのような古くからのファンには、まあ嬉しい展開だ。でも、なんというか、ここまでウケに徹しているバーンというのも、どこか哀れにも感じてきて、いたたまれなくなった。バーンが関心のないアーティストだったらなんとも思わなかっただろうけど、以前は大好きな人だっただけに、複雑な心境だ。 というわけで、バーンの歌う会場から抜け出して、同時進行ではじまっていたタイガー・モスのほうに逃げてしまった。タイガー・モスは、地元の有志の集まりというか、ベテランのミュージシャンたちがお客さんにダンスを提供するためだけに黙々と演奏するスタイル。小さな会場だったが、中はビッシリ満員で、その全員が伝統的なカントリー・ダンスを楽しそうに踊っている、という信じられない光景だ。しかも、踊っているのは老人ではなく、若い人たちもたくさんいる。イギリスにこんなダンスの伝統が残っていたなんて、ぼくは知らなかった。 そんなバンドで、イアンはスライド・ギター、ベンはギターをそれぞれステージの端っこで申し訳なさそうに演奏していた。というのも、真ん中にはアコーディオンとヴァイオリンというメイン楽器が陣取っているのだから、仕方がない。ベンは、10年ちょっと前のスリー・ムスタファス・スリーのステージで見せた、あのハデなアクションがいまも健在。とても懐かしく感じられた。しかし、ここでふと思ったのが、バーンがトーキングヘッズしたら見てられなかったぼくが、ベンが昔のアクションをした姿を見て素直に楽しんでいていいのか、ということ。これじゃ理屈が通らないと言われたら、まったくそのとおりだ。でも、時間はもう夜の12時。早寝早起きが習慣になっているぼくには、もう理論の整合性なんかを考えて音楽を聞いている時間ではない。ただ体と気持ちが素直に反応してしまったその状況を、この日記に書きとどめるので、精一杯だ。 ステージを見終わってホテルに戻ったら、もう午前2時。明日も早起きしてジョギングしないといけない。すぐに寝ることにしよう。 |
7月22日(木) 予定より早く午前2時半に起床。木曜恒例のリスト原稿など、最低限やらないといけない仕事を終わらせて、午前7時に成田に向かう。チェックインした後は銀行に行って、忘れていた支払い2件とポンドの旅行小切手を購入(ポンドの場合、現金よりこちらのが得らしい)。さらにいくつか買い物を済ませた。そうして用事が片付いたところで気が付いたのが、昨晩からロクなものを食べてなかったこと。かなり空腹を感じたので、朝から大量に食べて、しかもビールなんか飲んでしまったものだから、今度は睡魔に襲われてしまった。飛行機に乗ったらすぐに熟睡。きっとたまっていた疲れもあったのだろう。ロンドンは東京の8時間遅れだが、その時差も飛行機での睡眠で解決してしまったようだ。 そんなわけで楽しみにしていた飛行機での映画もまったく見ないままに、ロンドンに到着。さっそくホテルに向かってチェックインしたのだが、ここで話していてわかったのが、イギリスはいまのところ冷夏だということだ。こちらの人には申し訳ないが、日本がここ数日強烈に暑かったので、非常に助かった気分。外を歩いていても汗をかかないし、冷房も欲しくならない。冷たいビールではなく、熱いコーヒーや紅茶を飲もうという気がしてくる。こんな調子なら、暑さで疲れた身体をロンドンで休めることができそうだ。 夕方まで軽い打ち合わせをした後に食事。まだ外は明るいのに9時になったというので、ホテルに戻って休むことにした。飛行機で読みはじめた『じゃがいもが世界を救った〜ポテトの文化史』を少し読んだところで強烈な睡魔が襲ってきた。10時前に就寝。 |
7月21日(水) 今日は裁判所。朝早く起きて、やらないといけない最低限の仕事を終わらせて裁判所に向かい、調停とかいう作業に立ち会ってきた。今日は弁護士さんという強い見方がいるからから安心。ぼくは何もすることもなく、必要な回答だけして終わった。弁護士さんに言わせると、今日も役人ならではのタルいやり取りがあったのだそうだが、昨日の税務署に比べたらずっとスムーズだ。きっと役人も、弁護士さん相手だと、一般市民相手とは対応が変わるということだろう。だとしたら、ますますイヤな奴らだ。 午後遅い時間にやっと事務所に戻って、あれこれと資料整理。今日は疲れたので、とにかく早く寝て、明日は午前3時起きして仕事することに決めた。空港に向かって出発するのは午前7時。なのに、やらないといけない仕事は山ほどある。どうなることやら。でも明日のことを心配しても仕方がない。とにかく今日は早くご飯を食べて寝ることにしよう。 |
7月20日(火) 旅行前はいつも慌しいけど、今回は特別だ。今日は税務署で明日は裁判所。昼間の大事な時間を仕事とはまったく関係のないことに費やさないといけない。ともに相手は大嫌いな役人。そうじゃなくても暑いのに、ますますヒートアップしてしまう。 今日は松戸税務署のボケ役人たちと面談。本当にイヤな2時間だったけど、ここで気が付いたことがひとつ。彼らが何度でも同じ話をできる、世にも珍しい人種だということだ。今日ぼくが彼らに言ったのは、電話で言ったのとまったく同じ内容。当然のことだが、相手の返事も同じだ。ぼくはそれだけでもウンザリしているのに、彼らがそれをなんとも思わずにできる。今日は二人と面談したけど、彼らには面倒な面談をやっているという感じはまったくない。ただ粛々と仕事をこなしている感じだ。 こんなことができるのは、彼らが常に何の生産性もない仕事をしているせいなのだと思う。とにかく形式的に打ち合わせを持ったそのことが大切なのであって、時間なんてものはいくら無駄に費やしてもかまわないのだ。ぼくのような忙しい一般市民がそれによって多大な被害をこうむっていることなんかも、まったく気にしていない。そんなバカなことを、何の悪気もなくやっている。これじゃ、バカを超えて、おめでたいとしか言いようがない そんなくだらない2時間の最後に、あんまりアタマに来たから、ぼくら一般市民が彼らのためにどれくらい迷惑をこうむっているのか、バカでもわかるような表現で教えてあげた。税務署員二人(ひとりはぼくより10歳くらい年上だ)は、そんな正直な一般市民の怒りは聞いたことがなかったのだろう、すごくビックリした顔をして聞いていたが、でも反論できる話でもないと思ったのか、黙って聞いていた。最後に<俺の思うとおりの結果が出なかったら、100回でも抗議するから覚悟しておけ>と脅しておいたが、さあて、100回の面談も時間の無駄だとは思わない彼らにこんな脅しが効くのかどうか…。イギリスから帰ってきた29日に電話で連絡してくるそうなので、いちおう楽しみに待つことにしよう。 |
7月19日(月) 午前中は原稿書きをやろうかと思っていたのだが、急遽午後から山内さんのレコーディングが入ったので、午後にやる予定だった旅行の準備を午前中にやることにした。旅行の準備と言っても、着てゆくものや持って行くものを揃えたりしたわけではなく、もっと仕事関係の準備。ライスUKのための資料やら今後のリリースのための企画書やら、あちらでの打ち合わせに必要な書類を全部そろえて、ノート型パソコンに整理した。まだまだ未整理の部分が多いライスUK。今回の旅行でできるだけしっかりしてゆきたいと思っている。こういう仕事は面倒だけど、いまやっておかないと後になってからではもっと大変になるので…。 午後は山内さんのレコーディング。山内さんは昨日とは違って絶好調。予定の曲を1時間ちょっとで仕上げてくれた。一部の曲にパーカッションを入れようというアイディアが飛び出して、8月上旬にそれをやることになったが、ほとんどの曲はもう入れるものはないから、今週からはミックス作業だ。良い作品になることを期待したい。 実は山内さんとは次のアルバムのアイディアも生まれている。これは時間のかかりそうな企画なので、早めにスタートすることにしたい。 |
7月18日(日) 世間では3連休らしいけど、ぼくは休みなしの仕事漬け。今日も午前中はエンリッキ・カゼスのアルバムのミックス直し。午後は山内雄喜さんのアルバムのセッションと、一日中スタジオ仕事に追われることになった。 エンリッキのアルバムはこれで完成。後はマスタリングをして、同時進行でジャケを作って、できたら8月末くらいには出したいと思っている。ショーロであってショーロでない、不思議なインスト・アルバムに仕上がったと、まずは言っておこう。 山内さんのほうも、録音はほとんどカンパケ。今日が最終日の予定だった。ただ、人間だから調子の良い日も良くない日もある。今日は完全に後者。こういう日はいくら頑張っても良い結果が出ないので、早めにやめて、明日の午後に続きをやることにした。それでも、終わったのは午後8時過ぎ。朝早くから仕事だったので、今日も疲れた…。 |
7月17日(土) 予定とおりの早起き。朝7時には事務所に行って帳簿の整理をして、10時からの税理士さんとの打ち合わせに備えた。そうして打ち合わせが終わり、解放されたのがお昼過ぎ。本当だったら、今日はその後、半日お休みにして、食材の買い出しとか部屋の掃除とかをするパターンなのだが、残念ながら今日はそうもゆかない。今週はいろいろ忙しくて、残務仕事がたんまりあるのだ。冷蔵庫に何も入っていないので、食材の買い出しだけはやったけど、後はメールの返事を書いたり、企画書をまとめたり、送られてきたサンプルをチェックしてお礼のメールを送ったり…。結局夜8時くらいまで仕事してしまった。ああ、疲れた…。 |
7月16日(金) 最後に完全休養できたのが6月19日。休みを取れなくなって、そろそろ1ヶ月がたとうとしている。アマリアもなんとか片付いたし、来週はイギリスに行くので休めないから、今日あたりをぜひとも休みに、と思ったが、結局それもダメだった。朝早くから裁判所と銀行ともうひとつの銀行、そして事務所、最後に自宅作業と、忙しく仕事してしまった。明日は税理士さんが来るので、早起きして帳簿整理だし、日曜日はミックス&レコーディングだし、月曜日は解説原稿を書かないといけない。22日からはロンドンだから、直前は当然忙しいし、今月はもう休みが取れそうもない。せめて栄養補給だけでも十分に、と思って、帰りにはウナギを買って帰ることにした。 今日も大嫌いな役人から電話があった。今度は税務署じゃなくて、成田の空港税関だ。前から何度か電話してきたのだが、忙しいふりをして逃げてたら電話がこなくなって良かったと思っていたのに、またかけてきやがった。当社は毎月外国からたくさんのCDを輸入しているが、その際にちゃんと税金を払っているかどうか、調査したいというのだ。もちろん、強制調査ではない。だから、当社は<協力してあげる>立場。アチラは<協力していただく立場>だ。しかしその割には、最初に電話してきたときから妙に威張って偉そうにしているのだ、そいつは。今日もそんな調子だった。そして、ついにアタマにきてしまった。 ぼくはこう言ったのだ。調査したいのなら、土曜か日曜においで、週末だったら、こっちも休みを返上して付き合ってやるよ、と。そしたら、相手はウィークディじゃないとダメだという。税関職員は週末に働いてはいけないのだそうだ。そこで、ウィークディにくるなら、こっちの仕事が終わった後の夕方6時以降にしてくれと言ったら、それもダメ。税関職員は夕方までしか仕事をしないのだそうだ。そこまで話していて、俺も堪忍袋の尾が切れた。わかった、それじゃ俺はオマエの調査に付き合えない、どうしてもウチの会社を調査したければ、捜査礼状を持って来い…。そう言ったら、そんなことをいう会社ははじめてだと逆切れしはじめだ。 経理部が独立した部屋を持っているくらいの大会社ならともかく、当社のような小さな会社は、そんな調査の人間が会社に来て動き回られたら、会社の仕事は完全にストップしてしまう。当社は仕入れ価格だって社員全員が知っているくらいだから、他とくらべたらすごくオープンな会社だと思うが、それでもぼくしか知らないトップ・シークレット事項は当然あるし、税関の人間がウィークディにやって来ていきなりそんな質問されたって、社員がいる場では話せるわけがない。だから週末に来い、俺も休みを返上して付き合ってやるからと言ってるのだから、すばらしく利に通った話のはずだ(ちなみに、同じ理由で当社の税理士さんは土曜か日曜にしか会社に来ない)。しかし、それでも彼には非協力的に映っているようだから、話にならない。 そういえば、昨日までぼくの仕事を邪魔してくれたアホな税務署員(これは千葉県の松戸税務署)は、公務員は土日は働いてはいけないんだ、そのことは公務員法にしっかり書いてある、なんてバカなことを言っていた。さっそく国家公務員法と地方公務員法をインターネットでチェックしてみたが、もちろんそんな条文は存在しない。そのことを税務署員に言ったら、まさかわざわざ調べるとは思わなかったと、調べたぼくがまるで特殊な人間であるかのようなことを言っていた。 当社のような小さな会社では、土曜と日曜はしっかり休んで、なんて悠長なことは言っていられない。この日記をお読みになっている方はすでにご存知のとおりだ。休み返上で仕事しているのは、ぼくだけではない。昌くんとかも土曜や日曜に事務所に来て終わらなかった仕事に取り組んでいるし、会社には来なくても、自宅で調べものをするくらいは、みんな当然のようにやっている。そうしないと、会社が回ってゆかないのだ。食ってゆけないのである。 でも、そんなぼくたちが一生懸命働いて稼いだ金から払った税金で給料をもらっている公務員のやつらだけが、どうして土日をしっかり休めるのだろうか。いや、休むのは別にかまわないが、そのことをぼくたちに、まるで当然の権利かのごとく主張できるアタマの構造がわからない。申し訳ありませんけど、なんとかなりませんか、というのではなく、逆に俺に従わないほうがおかしいというような態度で…。 まあ、奴らがエラそうにする理由はだいたい想像がつく。みんな税務署なんかとは問題を起こしたくないから、シタデに出るからだ。みんなが奴らにヘエコラするからだ。ずっとそんな態度で接せられることで、奴らは自分がエラいと錯覚するようになってしまったのだろう。ぼくよりも10歳以上も若い奴が、本来はお願いをしている相手に対して、あんなにエラそうな態度を取ることは、一般の社会ではありえない。それを平気でできるのは、もう病気だからとしか思えない。ぼくらがヘエコラするものだから、世の中にあんなバカな人間を作ってしまっているのだ。 だとしたら、これ以上バカを増やさないためにも、ぼくらはイヤなことはイヤだ、迷惑なことには迷惑だと、しっかり意思表示してゆくしかない。税務署員なんかにニラまれて意地悪されるのは、ぼくだってイヤだが、これ以外にバカ役人たちを正気に戻す方法はありえないのだから、仕方ない。根気よくやってゆきましょう。 とかなんとかいいながら、バカ役人との会話は本当に疲れる。原稿を2万字書くのと、バカ役人と15分電話で話すのと、どちらか選べと言われたら、ぼくは迷わず原稿2万字を選びます。 |
7月15日(木) どうも最近は賞と縁があるようだ。先にTIM杯の<最優秀サンバ・アルバム>を受賞したモナルコの『俺のサンバ史』が、今度はグラミーのラテン部門にノミネートされたらしい。本日、グラミーの方から知らせがあったそうだ。さあて、今度も大賞を取れるでしょうか。 『俺のサンバ史』は、原題がUma Historia do Sambaで、実はこれもぼくのアイディアだった。というのも、フラメンコに詳しい人はご存知だと思うけど、最高の男性歌手マノーロ・カラコールが晩年に残したアルバムにUna Historia del Cante Framencoという2枚組LPがあって、それをヒントにさせてもらったのだ。タイトルのポイントは、一番最初についているUna。これは定冠詞をつけて、The Historyとしてしまうのではなく、<あるひとつのフラメンコ史>というニュアンスを込めた言い方だ。ぼくはこの奥ゆかしさが好きになって、モナルコのアルバムもUma Historiaとさせてもらった。邦題の『俺のサンバ史』は、それをどう訳したら良いものかといろいろ考えたあげく、最後に浮かんだタイトルだ。 いま思えば、マノーロ・カラコールもモナルコも、ジャンルは違うけど、男らしい歌声が魅力だという点では共通している。モナルコにもアルバムを作る前にカラコールの話はしてあるし、たしか録音も聞かせた記憶がある。もしグラミーを受賞したら、インタビューでカラコールのことでも話してくれたら、ジャーナリストたちもビックリするだろう。 今日は木曜のリスト作成日。でも、昨日までアマリアの解説を書いていたので、サンプル盤を聞く時間がなく、今回はほとんどを社員たちに任せてしまった。ぼくが書いたのはブラジルの新譜と、解説つきシリーズの一枚だけ。それでもリストが出てしまうのだから、サンビーニャも成長したものだ。 |
7月14日(水) 税務署がまた朝から電話してきた。彼らはどうしてもぼくの仕事を邪魔したいらしい。もう今日はそんなのの相手をしていられないので、それから夕方まで携帯電話の電源をカット。余計な電話には出ないことに決めた。 夕方にはアマリアの解説を脱稿。19000字近く書いてしまったようだ。 |
7月13日(火) 先週末から、仕事に集中したいと思っていると、それを察したようなタイミングで税務署から電話がかかってくる。今日もそうだった。それも自分や自分の会社のことではなく、相続に関する話。しかもぼくは1円も受け取る気はない相続なので、関係ないといえばまったく関係ない話のに、なんでいつまでも関わらないといけないのかとイヤになってしまう。先週も書いたけど、ぼくはもともと役人が大嫌い。そして今回の税務署の男は、ぼくが嫌いな役人を絵に描いたような人間だ。声を聞いただけでもイライラする。ヒマな時ならともかく、忙しさの絶頂の時に、なんでこんな奴と話をしないといけないのか…。 こういう時にかぎって、ほかの仕事でもトラブルが多い。今回もそうだ。先週の水曜日にブラジルを出発した荷物が、サンパウロの空港で足止めを食わされているというから困ってしまう。書類に不備があって税関を通らないというのが理由だそうだが、その運送屋は書類に不備があったらピックアップすらしない会社だから、最初から書類が揃ってなかったわけはない。彼らがどこかで失くしてしまったのだ。しかも、そのことを先週の水曜日から昨日(月曜日)まで、送り主にも受取人にも知らせず、ただひたすら倉庫に寝かしておいたというから、信じられない大バカだ。きっと、担当者は自分の責任になるのが怖くて、ただひたすら黙っていたのだろう。そして書類の再発行を送り主に依頼したのは、やっと今日の夕方(現地時間)になって。明日には書類を送ったとしても、荷物は1週間も遅れてしまうことになる。 |
7月12日(月) 忙しいのから出来るだけ気にしないようにと、昨日はテレビを見なかった。でも、今日はとうとうガマンできなくなった。見てしまいました、選挙関係のテレビ番組。ぼくはもともと選挙が大好きな人間なのだ。 思うことはいろいろあったけど、なによりも印象的なのは、組織票なるものが少なくなった時代に公明党だけが俄然存在感を増していることだ。予想された通りの自民党敗退だが、公明党の選挙協力のおかげでやっと過半数を保ったいう際どい負け方がマズい。自民党に組織票が見込めなくなったのは、以前と違ってみんながちゃんと自分で考えて投票するようになったということだから、基本的には良いことだ。でも、そんなときに創価学会だけが依然と組織していて、大きな影響を及ぼしてしまうところが怖い。しかも800万票を超えているのだから、スゴい数字だ。2大政党の時代じゃなく、創価学会を味方につけたほうが政権を取るなんて方式が出来上がりつつあるのかも、なんて思えたりして。 そして対照的だったのが、表情に疲れが出ている小泉さんと、最初よりずっと精悍に見えてきた岡田さん。やはり守る方よりも攻めてる方が輝いて見えるものなのだろう。小泉さんがイマイチ盛り上がらないのは、彼が攻める相手がいなくなってしまったからだ。すっかり静かになってしまった抵抗勢力。そしてそんな抵抗勢力と一緒に組織票もなくなってしまったのだから、自民党は本当に瀕死の状態だ。 日本の政治は確実に変わりつつある。この後、いったいどうなるのだろうか。それについてはアマリアの解説を書き上げた後に考えることにしよう。 |
7月11日(日)
朝の涼しいうちに投票をすませてしまおうと思って外に出たら、もうすでにスゴい暑さ。今日もすっかり真夏のようだ。駅には海か山に遊びに行くと思われるいでたちの人たちがたくさんいて、羨ましい気分だが、今日はガマン、ガマン。ファドの仕事にもう少し集中しないといけない。 これだけ暑いと、冷房嫌いのぼくも仕事中は冷房をかけっぱなしになってしまうが、それが身体に良くないのはもちろんだ。そこでここ3日ほど、夕方には仕事の手を休めて、近くのスポーツジムで思い切り汗を流すようにしている。その後に何か飲んでしまうので、体重が急に減ったりするわけではないが、汗を流すという自体が気持ちいい。夏は汗を流すものなのです。 |
7月10日(土) 今日も朝からずっと自宅作業。昨日に支払いなどが終わって、やっとアマリアの仕事に集中できることになった。暑いし、しばらく休んでいないから身体は疲れているけど、それでもやりたい仕事に集中できる喜びは大きい。 |
7月9日(金) 朝は銀行支払いなど経理仕事を少し。でも、お昼すぎには終わったので、その後は自宅に戻ってアマリア関係の仕事に集中した。音はもうずいぶん聞いてきたけど、読んでおきたい本がまだまだたくさん残っている。それの全てに目を通すには、どうしても週末いっぱいかかりそうだ。 夜はサッカーの日本代表の試合。相手はスロバキア。結果は3対1で日本が勝ったが、点差以上に実力の違いを感じさせた。このクラスのチームが相手だと、いまの日本代表はほとんど危なげない試合運びができる。先のヨーロッパ遠征で、ヨーロッパのチームに対するコンプレックスが払拭されたということだろう。まあ、アウェーでチェコに勝ったのだから、ホームでスロバキアに負けるわけはない。選手の中では、FWの鈴木とMFの俊介、福西、遠藤の4人がすばらしい動きだった。 |
7月8日(木) なにはともあれ嬉しいニュースから。先にこのページでも紹介したように、ぼくがプロデュースしたブラジルのサンバの重鎮モナルコのアルバム『俺のサンバ史』(ビクター)が、ブラジルのグラミー賞に当たるTIM杯にノミネートされていたのだが、ブラジル時間の水曜日に最終発表があり、なんと<最優秀サンバ・アルバム2003>を受賞してしまいました。日本人がプロデュースしたサンバ・アルバムが最優秀アルバムを取ったのだから、きっとブラジルでも少しは話題になっていることだろう。ちなみにぼく的には、『ミュージック・マガジン』の2002年ワールド・ミュージック最優秀アルバムに続いて、2冠の達成を喜びたい気分。日本でもブラジルでも評価されたのだから、良い仕事だったということだろう。 ちなみに、本来ならぼくが授賞式に行かないといけないところだが、そうもゆかないのでエンリッキ・カゼスが代わりにタキシードを着てトロフィーを受け取ってきてくれた。エンリッキによると、賞金もあるとか。金額はまだ聞いていないけど、今度ブラジルに行ったときにはそのお金を使う算段でも考えることにしよう。 今日は朝からリスト作成。そんな忙しい仕事の後に、さらに疲れる出来事が。というのも、ぼくの母が全額相続することになっている父親の遺産問題(お金は大したことないけど、いろいろ訳ありなんです)で、税務署がバカなことをしようとしていると知ったので、さっそくその税務署員に電話をしてデカい声で怒鳴りつけてやったら、そうじゃなくても疲れているのに、ますます疲れてしまった。今日、税務署員と話している自分を思い出してつくづく思うのが、ぼくが役人という人種をとことん本当に嫌いだということだ。いわゆる役人らしい小ざかしい態度を取られると、どうしても我慢できない。いままで警察でも役所でも裁判所でも、何度やつらと大ゲンカしたことか。それでも反省するどころか、あいつらの甘えた役人根性は、ますます許せないと思ってしまう。今回もその税務署員に<オマエとは撤退的に戦ってやるから覚悟しておけ>と宣言して、電話を切ってやった。 なんて書くと、好戦的な人間だと思われそうだが、普段はいたって温厚なんですよ。誤解しないでくださいね。 |
7月7日(水) 朝から自宅でライス盤の解説原稿書きと、8月の新作リリースのためのアイテム選び。ファドの方に集中したいけど、なかなかそうもいかない。そうじゃなくてもここんとこ休んでなくて疲れているのに、やりたい仕事にも手がつけられないなんて、本当にイライラする。 夜はタワー新宿店の篠原さんと打ち合わせ。お店を見たら、予想していたとはいえハワイアンの新作がズラリ。その数があんまりなので圧倒させられてしまった。ビクターさん、一度にこんなに出して、本当に売れると思っているのだろうか?そうかと思えば、ワーナーはオマーラ・ポルトゥオンドやユッスー・ンドゥールの新作どころか、デイヴィッド・バーンも日本盤で出さないのだとか。なんならナンサッチはサンビーニャで引き受けようか、なんて冗談も出てしまうほど、ワーナーはワールド撤退だ。なんかこう、バランス感覚が完全におかしくなっている最近の国内ワールド事情。 |
7月6日(火)
昨日から少し疲れ気味。でも、今月はウォーマッドに行く前に終わらせておかないといけない仕事が多いので、簡単に休むわけにはゆかない。今日も疲れのせいか、目覚めがかなり悪かったんだけど、我慢するしかない。しかも、こんな日に限って、今年初の真夏日。いきなりの猛暑だから、泣きっ面にハチだ。ぼくの場合、通勤は徒歩。しかも早足で25分くらいかかるので、この暑さの中では、事務所に着いたときにはもう汗ビッショリだ。それだけで今日の体力を使い果たした感じ。でも今日はその後も外で打ち合わせが続いたりしたものだから、ますますグッタリしてしまう。暑さも、慣れてしまえばどうってことないのだろうが、最初のうちはコタえます。 打ち合わせの目的地に行く電車の中では、いつも読書。今日読んでいた本で印象に残ったのが、言葉の起源のお話だった。というのも、ポルトガル語やスペイン語の<アル**>という言葉は、アラビア語から来ているものが多いのだそうで、例えばポルトガル語の<アルモッソ(お昼ご飯)>などがそうだし、さらにスペイン語/ポルトガル語の<アスーカル(砂糖)>などもそれに当たるらしい。たしかに<アル>はアラビア語の定冠詞。きっと<お昼ご飯>とか<砂糖>というのは、イスラム統治の時代にポルトガルやスペインに伝わったということなのだろう。 そう言えば、スペインでもポルトガルでもお昼ご飯は一日で一番ゆっくり食べるし、そういった風習はブラジルやラテン・アメリカの国々にも伝わっている。これもまた、イベリア半島がイスラム統治だった時代のライフ・スタイルが受け継がれたということなのだろうか。ぼくらが<ラテン気質>と思っているもののうち、ひょっとしてかなりのものが、もともと<イスラム気質>からきたものかもしれない。そのあたりをひとつひとつじっくり検証してみたら、面白そうだ。そんなことを調べてくれた本、どこかにないかなあ。 |
7月5日(月) 予定通り、午前3時半に起床。サッカーのヨーロッパ選手権の決勝を見る。ギリシャの勝利は奇跡的だというけど、開幕戦だってポルトガルに勝っているのだから、もう奇跡なんて言葉は使えない。内容的にも開幕戦の再現。ポルトガルは早い時間に点が欲しかったのか、前半からかなり飛ばしたが、そんな前半の20分で点を取れなかった時点で、もう勝負ありという感じだ。今回のギリシャほど泥臭いマン・マークは、国際大会では久しぶりに見たけど、こういうスターのいないチームが選手たちの献身的な動きのおかげで優勝したことで、世界のサッカーは変わるかもしれない。 それにしても、フィーゴもクリスティアン・ロナルドも、たしかに攻撃はスゴいけど、守備はからっきし。両サイドがあれほど守備をしないと、サイド攻撃をされたときはたまらない。結局、それでコーナー・キックを取られて、得点されているわけだから、敗因は明らかに彼らだということだろう。それ以上に、その二人にサイド攻撃をあれほどさせなかったギリシャの守備は、本当にすばらしかった。 試合の後は、アマリア関係の仕事の続き。ポルトガルが負けた後でアマリアの選曲というのもヘンな気分だが、音楽は音楽。今日は手元にある音源を丁寧にDATに移しながら、選曲の最終構想を練った。 午後は事務所で貴重写真のスキャニング。今回は中村とうようさんから古いLPとかをお借りしているが、音源はもとより貴重写真が満載なので、一部をブックレットに使わせてもらおうと思っている。どうぞ、お楽しみに。 午後は帰宅して、今度はアマリアの自伝本『このおかしな人生』の再チェック。せっかくこういう本が日本で出ているのだから、解説ではできるだけ引用したいと思っている。 という感じで仕事していて、6時にはもう疲労困憊。ゴーヤ・チャンプルーを食べて寝ることにした。先週の土曜日に半日休んでから、ずっと休みなしなので、そろそろ疲れてきました。 |
7月4日(日) 昨日もそうだったが、今日もすばらしく良い天気。一日中外に出ない予定の日だったので、ふとんを干すことにした。今年の梅雨はまったく梅雨らしくないけど、これで水不足にならないのだろうかと心配しながらも、やっぱり干した布団は気持ちが良い。 仕事のほうは、昨日に続いてひたすらアマリア・ロドリゲス。レコードを聞きまくって、ついでにポルトガル語で書かれたファドの関係の本も全部引っ張り出しては、拾い読み。インターネットでもチェックするのもファドとアマリア関係ばっかりで、アタマの中はまさにアマリア一色だ。きっと、この調子だと夢にも彼女が出てくるに違いない。動いた姿を見たことのないニーニャ・デ・ロス・ペイネスとは違って、アマリアはサントリー・ホールでの来日公演なども見ている。きっとリアルな夢になるだろう。 こういう日は、何を書いてもファド話になってしまう。いまから解説ネタをバラしても仕方ないから、これくらいでやめましょう。明日は朝3時半に起きないといけないので、今日は9時就寝。 |
7月3日(土) ここのところずっと土曜日を休みにしてきたせいで、掃除や洗濯などはこの日にやるようなペースになってしまった。金曜の夜になると、だいたい冷蔵庫がカラッポになる。というわけで、今日も朝から掃除と洗濯。お昼前には近くのスーパーに行って一週間分の食材を買った。相変わらず夏野菜中心だけど、今週はオクラがおいしそうだったので、思わず購入。久しぶりにガンボでも作ってみようかという気分になったからだ。レシピはインターネットでチェック。BGMは、やっぱりプロフェッサーのCDしかない。ニューオーリンズ音楽なんて、もうしばらしく聞いてないけど、CDはいったいどこにしまったのだろう。 なんて話は、あくまで2〜3日後のことで、今日は残念ながらそんな時間はない。8月1日に発売日が変わったアマリア・ロドリゲスのアルバムの最終作業をしないといけないからだ。選曲はかなり前からだいたいまとまっていたのだが、マスタリングに向けて音の良いトラックを探すとか、曲順を確定するとか、解説を書き上げるとかいう作業が残っている。こういう差病は、ほかに仕事があるときには絶対にできないから、土日にでもやるしかないのだ。そこで今日と明日は、他の仕事は後回しにして、とにかくアマリアに集中することにした。 ライスの復刻盤シリーズは、手間ばかりかかる割りに儲からない、なんて話は以前も何度か書いた気がするが、それならなんで作るのかと言われたら、結局そのアルバムがレコード店にないといけないという業界人としての使命感よりも、むしろそれが自分のためになると思ってるからじゃないかという気がしてきた。ぼくのようなズボラな人間は、こうやって自分にプレッシャーをかけないと、これまで集めてきたアマリアのアルバム全部を集中して聞くことはない。何度もこういう仕事をやってきてつくづくわかったことだが、その音楽家のことをなによりも一番よくわかるのは、結局はこうして編集盤を作るために真剣に音源を聞いてとき(あるいは最初からプロデュースしたとき)で、だから、こうしてアルバムを作りながら、ぼくはすごく良い思いをさせてもらっていることになるわけだ。タイヘンな作業であることは事実だし、とても忙しい仕事ではあるんだけど、でも同時に、すごく勉強になる。こんなことができるなんて、すごく幸せ者なのだ。 なあんて、書いてはみたが、そうでも思わないと、やってけない仕事だということでもあるんだけど(笑)。 夜は10年ほど前にフランスで作られたファド関係のテレビ番組をDVDで見る。A・ウルマンが自作の新作をピアノを弾きながらマリア・ロドリゲスに教えているシーンなど、貴重な場面の連続で、見所がたっぷりの非売品だ。実はこれ、ポルトガルの取引先からかなり前にもらったDVDなのだが、PALシステムのせいでずっと見れなかった。それが、つい最近6200円で買った超安物DVDプレイヤーが偶然PALも対応していたので、見れることになった次第。どこで作られたかわからない激安商品だけど、けっこう使える一品だった。 |
7月2日(金)
今週は雑務仕事を水曜日にやってしまったので、今日は珍しく平和な金曜日。朝早く起きて解説原稿を仕上げ、午後からは兄弟会社であるライスUKの仕事を進めた。今月末にはロンドン・ウォーマッドの時期に向こうに行って、プロモーション活動を手伝わないといけないのだが、それまでに次のリリースのための仕事を終わらせておきたかったからだ。ライスUKでは、すでにアルセニオ・ロドリゲス、チローロ、ワルジーナ(『ラトゥ・ジャワ』)、RIKKIの4枚を発売しているが、次は10月にカルメン・ミランダとインドネシアのサンバスンダを出すつもりでいる。そのうち、カルメン・ミランダの解説原稿を、英語に訳しやすいように書き直そうと思ったわけだ。
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7月1日(木) さあ、今日から7月。2004年の後半戦のスタートだ。今年の前半は、会社の経営状況としては最悪だったけど、マリのティナリウェンを紹介できるなど、いちおうはサンビーニャらしくワールド・ミュージックの話題盤を提供することができた。後半は、前半以上に面白いアルバムを出して、さらにそれらをできるだけ多く売りたい。サンビーニャは趣味でやっている会社だと思っている人がまだいっぱいいるみたいだけど、そんなことはないことを、どこかでわかってもらわないと…。 そういうわけで、7月のサンビーニャはスゴいですよ。ライスの発売予定は別ページに載っているけど、それ以外にも、サンビーニャ印のアルバムから、ブラジルの輸入盤から、注目盤が目白押し。ちょうどブラジルでもビッグ・アーティストの新作が出る時期になったので、お好きな人は目が離せない状況だろう。新入荷アイテムは毎週金曜日にアップすることが多いので、チェックしてみてください。 今月末にはロンドンのウォーマッドがある。それには昨年に続いて行くつもりだ。ティナリウェンも出るし、ダーラ・Jも出る。彼らには直接会って、いろいろ話をしないといけない。さらに兄弟会社ライスUKを立ち上げたということもあって、そのプロモーションをお手伝いするのも重要な仕事。なんと、イギリスのワールド・ミュージックの専門誌Fルーツ社がぼくにインタビューするという話もあったりするから、面白い。今月はいろいろと忙しそうだ。 |